屋久島~地球のほしがるものすべて~

虔十の会(ケンジュウノカイ)

2006年02月26日 05:31

【虔十、屋久島上陸!!】



  夢にまで見た屋久島に、ついに虔十7名が上陸しました! 面子は、「おかしら」こと代表坂田をはじめ、事故・怪我おまかせ棟梁永友、高尾山の申し子和泉、人間マイナスイオン発生装置、映像の桜井、福岡産げじべぇ(屋久島のキムジナーみたいなの)ちなつ、おじ様なで斬りキラーたまちゃん、やはり屋久島の方々にも全否定されたイジラレキャラのアッシー。



 例によってお金がないので13日の夜に車で出発し、鹿児島港に14日の夕方着。いろいろあってけっこうギリギリ。いろいろって何?と思う方は、棟梁永友に直接お聞きになってください。そして貨物船(1名2000円也)に乗って15日の朝、屋久島はわたし達の前に、その姿をあらわした!海から山が突き出してる感じがなんともいえない。「海や里は沖縄、縄文杉の待つ森の中は北海道」っていったいどんな自然で遊びまくれるんだろうと、もうワクワク。虔十では遊びと学びは同義語なので…



 今回の旅のきっかけは、モス・ガイド・クラブの代表、佐藤大さんをはじめ、名ガイドの今 ちゃんやマキさん達が高尾山に遊びにきてくれたこと。高尾と屋久島でネットワーク作ろうと意気投合し、その後屋久島に帰った大さんたちは、高尾ツリーダムや高尾山のトンネル問題などを、東京から屋久島を訪れる人たちに伝えてくれている。ちょうど環境ブックレットの制作に取り組んでいる虔十の会としては、屋久島抜きで日本の自然の何が語れようかという想い、屋久島ともっと深いネットワークで繋がりたいという想い、屋久島の水で割って飲む焼酎三岳への想い、海の幸、酒、温泉、卒業旅行に来てるはずの女子大生、などなどいろんなものを各自が裏ターゲットにし、熱い思いが入り乱れ、謀略が交錯しつつモス・ガイド・クラブになだれ込んでいった。



 到着するなり、再会した大さんと喋りまくる。坂田以外のメンバーは初対面だけど、大さんパワーにしっかりとりつかれたもよう。「人間がいかに地球に生かされていて、恵みを得ているのかが屋久島にいればちゃんと実感を持ってわかるよ」、「不便なことなんて何もない。咽が渇けば川の水を飲めばいい。塩が欲しいなら海に行けばいい。からだに悪いものなんて何もないから自然にあるもので全部間に合うってことは便利なんだよ」と大さんは語る。確かに!水さえお金を出して買わなきゃならない都市の生活って本当に便利なんだろうか?「速い」とか「たくさん」とかそんなにいいことだっけ?



 しゃべくりながらご飯を食べ、夜の飲みに突入!マキさんが「自分で汲んで来るとまた格別だよ」と言いながらガイドの時に汲んできてくれた縄文杉を育てている湧き水で、三岳を飲みまくる。うっ、うまーい!絶対に自分で汲んでくるぞぉ!その後、大さんは屋久島の自然を語る時とほぼ同等の情熱で下ネタ爆裂!!



【水、光、命の宝石箱、苔パラダイス】



 わたしたちが訪れた森は、白谷雲水峡、ヤクスギランド、縄文杉への往復22kmの道のり。ガイドは、モス・ガイド・クラブのパーフェクトガイド今村君(以降今ちゃん)。すべての場所で本当に気持ちの良い思いをすることができたのは今ちゃんのおかげ。自然の中で五感を開放するすべを教えてくれたのも今ちゃん。彼がいなかったら、屋久島の植物を覚えるだけだったり、いつもの固定された視線でしか森を見れなかったかもしれない。わたしは、ガイド今ちゃんが虔十と屋久島の自然との最高の出会いを演出してくれたと思っている。



 まずはもののけの森で有名な白谷雲水峡から。ここを訪れた日、朝6:00頃ものすごい雷鳴で目覚める。ちょっとやそっとで起きないわたしが目を覚ますのだから相当なはず。屋久島は一週間に十日雨が降るとか、一年に400日雨が降るとか言われるほど多雨なところ。さっそくの歓迎かと思いきや、出発の時刻には何とか雨はやみ、曇り空。気温も上がりだす。そうしたら山が、森が呼吸を始めた。白谷を目指し山道を上っていく途中で、今ちゃんが車を止めてくれる。水蒸気がわきおこり谷間や沢筋に沿って、もやが生きているようにうごめく。森の中の一本一本の樹が、苔たちが、土が呼吸してこの水蒸気を吐き出す。屋久島にいる間、晴れた日もあったけれど、このもやがかかっている時の山や森の方が、生きてうごめいているようで、なんだかあやしい感じで素敵だと思ったな。



 白谷雲水峡の入口に到着。いきなり清冽な川の流れに見とれてしまう。水がきれいすぎて川魚がいないと聞いていたが確かにきれいすぎる!屋久島の川の水はどこででも飲める。なんて贅沢なんだろう!贅沢と感じるわたし達の感性はなんて貧相なものになってしまっているんだろう…水辺に落ちているリンゴ椿の赤い色があまりに美しい。



 森に入った。雲が切れ、光が差し込みだす。雨あがりに苔たちが光りだす。さっきまで降っていた雨の雫を落とすまいと苔たちはめいっぱい葉をひ ろげる。苔の葉の先っぽには雫が一滴ずつくっついて光ってる。空気が濃い!自分のからだが喜んでるのがわかる。なんだかどこを歩いていても水の音がしているような気がする。



 ガイドの今ちゃんは、しゃがみこんだり、はいつくばったりしてわたしたちに苔の上で展開される世界を見せてくれた。屋久島は花崗岩でできた島。だから土がうすい。なのに屋久杉をはじめ、巨大なモミやツガやハリギリ(センノキ)が成長できるのは、この苔たちのおかげ。近づいてよくよく見ると、愛らしい杉っ子やらモミっ子やらが苔に根づいている。苔たちは花崗岩の上に、倒木の上に、切り株の上に、大木の幹にも繁殖する。何十年もかけて厚みをましていく。命が生まれるためのフワフワ蒲団…屋久島の森の中で春を一番に告げてくれるというオウレンの白く小さな花弁がいとおしくて、いとおしくて。



 川の中の大きな石の上を歩いたり、これが根なの?ていうくらい太い杉の根をくぐったり、巨大なモミの樹を見上げたり、せせらぎの水を飲んだり、渡ったりして森はどんどん深くなる。陽の光りが差し込むことで、光りと影が苔じゅうたんを彩る。ガイド今ちゃんは、「今日の白谷最高!きっもちいいっ」と190cmちかい身長でめいっぱい背伸びをして満面笑顔。ガイドが一番気持ちよさそうだよと皆笑ってる。あーこういうのっていいなぁ…人間は自然には絶対にかなわないよ、かなわなくていいんだよと一人ブツブツ頭の中でつぶやいてると、ふと、今ちゃんが秘密兵器を取り出した。長く太めの竹で節が抜いてある。森に入る前から何に使うんだろうって気になっていたんだよね。苔や根を無造作に踏んだりする奴をあれで殴るのかな?今ちゃんは笑いながら切れるらしいし…いやいやっ、そん な無粋な道具ではありませんでした。今ちゃんはせせらぎの川底に竹筒を立て、耳をあてて「うん、この辺いいなぁ」とか言ってる。「聴いてみて」と言われ耳をあててみる。コポコポ…サラサラ…ザァー…シャラシャラ…複雑な水音が増幅され、耳ではなく頭の中に直接響いてくる。みんなはまりました!やられたよぉ!なんて気持ちいいんだぁー



 「耳に手をあてて見るだけでも全然ちがうよ」と今ちゃんに言われやってみる。なんで人間は気持ち良いと目を閉じるんだろう。人間の情報ってすごく目に頼っている。そこを遮断してあげると他の機能がいつもよりずーっと鋭敏になる。こんなふうに自然に向き合うやり方があるんだ。わたしたちって自分の五感をどこまで活かせて生きてるのかな。本当に新しい発見。「聴く」というより、瀬音がわたしの血液の中にまで入り込んで響いてる。



 森が深くなるにつれて、誇張ではなくからだが浄化されていく感じがする。今ちゃんの「本日のメイーンディッシュ!」の声についていくと、もののけの森が現われた。ため息、ため息、ため息…光りを受けて、湿気を吸 い込んだ苔がキラキラ!なすすべもない…この緑をなんて表現すればいいのか、そんなことわかんない。名ガイド今ちゃんが、その辺にゴロンと横になる。皆、次々とゴロン、ゴロン…誰も口をきかない。最高!!



 思わず「わたし脱いじゃいそうだ…」とつぶやいた声をみんなが聞き逃すはずなく、屋久島の環境を保全するために、気持ちのいい場所でわたしを脱がさないための特別部隊が急遽、結成されたのは言うまでもない。映像担当の桜井君だけは「ドキュメンタリー・ザ・サカタ」の制作意欲に燃えているため、「俺、おもしろいから止めなーい」



  倒木にビッシリとはえている苔と同じ高さまでしゃがみこんで、視線を苔にぐーっと近づける。口に苔が入りそうなくらいに。苔といっしょに呼吸する感じで。視界が苔でいっぱいになるくらいに。これ、今ちゃんが教えてくれた苔世界の見方。そこには本当に別の世界が立ち現われる。もう一つの森だ。苔の小さな小さな新芽たちもこうやって見ると潅木のよう。杉っ子もここでは立派な巨木。胞子がピンピンと猫のひげのよう。この世界は緑の世界。ツーッと雫がたれる。雨がどれほどの命と恵みをこの島にもたらしているのか、皮膚感覚で理解できた気がする。



【屋久杉とやまぐるまの関係って愛?



 ヤクスギランド?何、そのネーミングと思っていたわたしは、最初はどうせ屋久杉ヤックンみたいな変なキャラが出てきて、学習漫画みたいな屋久島の自然の説明でもするのかと思っていた。しかし、信頼するパタゴニアの篠さんが「いーですよ、ヤクスギランド」、「えっ、このネーミングで?」「そっ、ヤクスギランドなのにいいんです」とおっしゃる。篠さん、正解でした!名前はいまいちなのに、素晴らしい森でした。



 この森に入る時も、すごい渓相の川を吊り橋で渡る。巨大な花崗岩がゴロゴロ。その上を光りを浴びながら水がほとばしる。圧倒的な水量だぁと思っていたら、名ガイド今ちゃん曰く、「増水するとあの岩なんて見えなくなるよ」とわたしの家とかわらないくらいの大きさの岩を指差す。釣りきちのわたしは、関東であまりに無惨な川を見すぎてせつない。三面護岸で水底までコンクリートに固められたり、蛇行を無理やりまっすぐにさせられたりして、生きた水でなくなってしまったもと川ばかり。ここ屋久島では水たちがしぶきをあげ、旋回し、渦巻き、マイナスイオンを吐き出し、ドウドウとすさまじい音を立 てながらわがまま放題。そういえば、大さんが言ってたなぁ。「水ってのは止まると腐る。動いている水は腐らない」人間も同じか…



 川辺にあるゆずり葉の赤い色が映えてきれい!吊り橋の上で、みんなズラリと並んで「マイナスイオン、マイナスイオン」とか言いながら深呼吸を繰り返す。なんかちょっと変な集団かもね(笑)。でもそんなことかまってられない。肺や気管が気持ちいいって感覚わかる?これがマイナスイオンかどうかなんてわからないし、どうでもいいこと。からだは正直だな。わたしは気管支が弱いんで、ここのところ止まらなかった咳が屋久島に来てからどんどん減っていく。大さん曰く「空気のせいだけじゃなく、人間のからだの70%は水。料理に使うのも、酒を飲むのも屋久島の水なんだから、からだの中の汚い水が屋久島の命の水に交換されるんだよ」



 吊り橋を渡り、森に入るとそこは巨木と苔。ヒメシャラ(床の間によう使ってる木)、ツガ 、モミその他もろもろ何もかもが大きい。そしてもちろん屋久杉も!わたし達から見れば十分に大木な杉でも、屋久島では「小杉」と呼ばれる。屋久杉と呼ばれるのは樹齢千年を超えるものだけ。これ本当に杉なの?と高尾山で杉を見慣れてるわたしには別の種類というか、別の生きもののように思えてしまう。鬼肌と呼ばれるその木肌の荒々しさ、美しさ。その巨大さに息をのみ、わたしの想像なんておよばない時間の蓄積を感じる。森の時間なんだ、きっと。わたしたちがたぶん失ったリズムで時が流れてる。



 切り倒されてしまった樹も、苔たちの力を借りて新たな森の時間を刻み始めている。ここでは切り株更新に感動。切り株のまわりが、樹自身の治癒能力で傷を癒そうと、丸く滑らかに内側に巻いている。巨大なうすのよう。中を覗き込むと杉っ子、やまぐるまの子が苔布団の上で競いあってる。きっと、一千年後には、彼らはうす状になったこの切り株を抱え込み、切り株が土となって果てたら空洞を抱えて、鬼肌になっていくんだろうなぁ。そうなるまでにどれほどの風雪を受け、雨を浴び、てっぺんを真っ白な骨のようにして、またそのからだに他の植物を宿していくんだろう。それは激しい時間の重みなのか、やさしい時間の重みなのかわたしにはわからないけれど、人間って自分の想像を越えたものを見るとせつなくなるみたい。大きな樹を見ると、誰もがその幹に思わず手を重ねるのはそんな気分からくるのかもしれない。



 倒木の大きさも尋常ではなかった。ひっくりかえった樹の根の裏を見ると、どれほど土が ないところに彼らが根を張リめぐらしているのかがわかる。これを立てるとどれほどの大きさになるんだ?てな杉があちこちに倒れている。高尾山だと土がいっぱいあるから、根は地中にしっかりもぐりこめる。でも屋久杉は、根を幹にように太くして岩を抱き、切り株を抱き、あらゆるものを抱き込もうとする意志があるかのよう。台風の多いこの島では運悪くひっくり返ってしまう。でも、無念そうじゃないんだよね。次の世代に向けた倒木更新がはじまるから。 立ったまま自然に弱り朽ちていき、そのうち倒れるだろうという樹もある。そんな樹には、さるのこしかけがたくさん張り付いている。今ちゃんがそんな樹皮の内側を見せてくれると、見事にきれいな土になっていこうとしているのがわかる。キノコたちは森の掃除屋。キノコの菌が、巨木たちを土に返していってくれる。この土の手触りがよくってパックでもしたらお肌スベスベになりそうな感じ。土が少ない屋久島で、さるのこしかけを始めとしたキノコたちは静かに静かに息づき、時間をかけて土を作り上げていくすごい奴ら!



 いっぽうで、絞め殺しの樹と呼ばれるやまぐるまたちは、のっとりをかけて宿主に絡みつく。なにしろこのやまぐるまだってすごい太さになるんだから、からみあってる姿はすごい!引き寄せ、抱きつき、もうこんなに愛しているから離さない!って見えたりもするんだけれど…それとも、これはやっぱりものすごくすさまじい生存競争なのかな。ラリアートとしか思えないような絡みつきをしてる奴もいたし。宿主の杉も負けていられないとばかりにグワァーとひじを伸ばすように枝を張ってる。うーん、悩むなぁ。愛し合ってるのか、憎しみあってるのか…過剰な愛って憎しみを伴うからなぁ。共存はできないのかァ!と声をかけたくなるけれど、彼らはどちらかを包み込んでしまうか、枯らしてしまうまでに膨大な年月をいっしょに暮らすわけだから、人間どうしなんかよりはよっぽど共存しているんだろうね。あーっ、でもこれでもかと絡み合うやまぐるまと屋久杉の命のありようにエロティシズムを感じてしまうのですよ…それとも、杉の精を吸い尽くして枯らしてしまおうとするやまぐるまに女性の本質的な部分を感じちゃうのかもね。いやいや、わたしが吸い尽くそうと してるわけじゃないんだから、みんな逃げないで!



 帰り道の吊り橋では、全員吊り橋の上に座り込んだり、寝転がったり、今ちゃんにマーッサージしてもらったり…そんなことをしながら瀬音を聞きつつ、あのツガの枝ぶりは良かったなとか、あの場所で靄が出てきたら余りに美しくて泣いてしまうかもとか、ヒメシャラの木肌は冷たくて気持ちいいなどなど思い返しているうちに、スーッと思考が途切れてしまう。「いる」だけになるけど五感は鋭敏な感じ。森の中でもこんな感じがあった。わたしは宗教とか神様とかよくわかんないけど、目に見えない何かが大事なことは確か。



 ヤクスギランド、名前はランドだけどおみそれしました!



 【縄文杉やっぱりでかかった!】



 屋久島と言えば縄文杉、世界遺産の象徴。実はあまり期待していなかった。というのも今は観光客増加のせいで、樹のそばには行けず、パンダを見るみたいに並んで見なきゃならないという噂をあちこちで聞いてたから。まぁ、シーズンオフだからそんなに人はいないだろうし、せっかく時間があるんだからという感じだった。樹齢7000年と聞くと、見るなんて失礼な感じがする。会っておきたいと言うほうがピンと来るなぁ。それに、往復22kmも歩くんだから、縄文杉の他にもいろんなことが待ち受けてくれてると思った。



  4時半に宿を出発し、5時頃まだ暗い中ヘッドライトを点燈して歩き始める。川を渡る橋の上で朝焼け!だんだんと空の色が薄紫からオレンジ色へ…鳥がさえずり出す。ミソサザイの巻き舌混じりの美しい声が森に響く。あー、もうすでにかなり気持ちいい。こうでなくっちゃ!どんなにすごい樹や、めずらしいものがあっても、その回りがダメだと楽しめない。



 小杉谷に入り、小学校跡を通過。むかし、ここでは たくさんの人が山仕事に従事していて大きな集落があった。日本林業の最盛期だ。チェーンソーが導入されることによって、林業は激変し、それまでの択伐から皆伐へ。日本中の山々から本来の植生が消え、成長の早い杉やヒノキ一色のいびつな山が増えてった頃。すごい活気があったんだろうなということは今でも偲ぶことができる。なにしろトロッコ道が延々と大株歩道まで続くいてるわけで、よくまぁこんなに敷けたもんだ、人間の欲望はすごい。トロッコ道の途中、桜の古木があって、これが満開になり、花吹雪の中に身を置いたらもうどうなってもいいかも、なんて話しながら歩き続けて大株歩道に入る。なるべく早く着いて人が訪れ出す前に縄文杉の前に立ちたい。帰りにゆっくりと思いながらウィルソン株を横目に進む。今日は天気が良くて、まだ雪をかむる宮之浦岳をはじめとする山並みが気持ちいい!湧き水もいたるところでコポコポと美しい音をたてている。天気が良いと苔たちは、葉を閉じてしまうので、まるでちがう植物のよう。それでも湧き水のまわりのほの暗いくぼみにしゃがみこむと苔たちが、小さな小さな新芽を芽吹かせている。



 夫婦杉、翁杉、大王杉には帰りにゆっくりねーと声をかけつつ、縄文杉まであとわずかのところまでやってきた。縄文杉だーッと焦って捻挫する人が多いねんざ階段を下ると、今ちゃんが「ここから絶対に上を見ないで!」「ん?ひょっとして何か策略?もう縄文杉見えてるのかな」と思いウズウズするけれど、みんな小学生のように今ちゃんの言うとおり、上を見ないで縄文杉の前のデッキにあがる。誰もいない!やったぁと思うがまだみちゃダメ!縄文杉に背をむけてみんなで座る。「いっせいのせぃ!」で全員仰向けに寝転がった!とたんにわたしの視界は縄文杉でいっぱい…でかーい!でかいよ。圧倒される…すごい存在感。しばらくはみんな声もなく立ち上がりもしない。今ちゃんは最高の御対面をさせてくれたようだ。



 しばらくすると、別のグループの賑やかな声がしてきて我に帰る。今度は立ち上がって見上げてみる。すごい。でも立ち上がって縄文杉の周りを見渡すとあれ?まわりに樹がない。今ちゃんの説明によると、縄文杉がよく見れるように周りの樹を役所が刈ってしまったそうだ。そのせいで、縄文杉の正面には苔がまったくつかなくなってしまった。裏側にはびっしりついてるそうだが、研究者など特別に許可を受けた人でなければデッキより中に入れないので見ることはできない。苔が落ちてしまって、あわてて植林したが屋久鹿が食べてしまい育たないそうだ。縄文杉が見つかるまで、最大とされていたのは大王杉。観光客が大王杉までしか訪れなかったその頃、縄文杉はどんな表情でここに佇んでいたんだろう。鬱蒼とした森の中で、苔をからだ中にびっしりまとった縄文杉はすさまじいパワーを出していたかもしれない。縄文杉を見つけ公表した役所の人は、変わって いく様をみて後悔にさいなまされ、縄文杉より巨大な杉を発見したが誰にもその場所を語らず、胸に秘めたままあの世に持っていってしまったそうだ。



 触れたことのない自然に触れたいという思いは誰しもある。でも、みんなが触れたいのはいったいどんな「自然」?縄文杉の前で写真を撮れれば満足?たくさん人を入れてたくさん儲けたい人もいるかも。そんな考えだと、簡単にたどり着けるようロープーウェイを通そうとか、トロッコ道は動く歩道にしちゃえなんて発想が出てくるんだろね。人間の方も自然から選ばれるんだよ。縄文杉に会いたければ22km、9時間は歩かなきゃいけない。自然ともっとちゃんと遊ぼうよ。また縄文杉に会いに来ようと思う。今度は高塚小屋に泊まって、夜中にコーヒーでも飲みながら会いたい。縄文杉に苔たちが戻ってきますようにと祈る思い。そんな複雑な気持ちを抱きながら、人も増え出したので降りる事にする。もちろんモス・ハウスに戻って三岳を最高の状態で味わうために、縄文杉を育ててきた湧き水を汲む。



 帰路、良かったのは翁杉。低いデッキにまたまた寝転がる。はぁ~、どれだけの植物を身にまとっているんだろう、この杉は…わたしはこの杉が一番のお気に入りかもしれない。寝転んで見上げていると、木漏れ日がチラチラ…眠ってしまいそう。でも、そんなふうでいいんじゃないかなぁ。屋久杉のそばでその存在感を感じながら、うつらうつらする。森の時間に身を任せる。命の塊のような樹に、そんなふうに接していたい。いっしょにいる感じで十分。



 「できることなら、苔に包まれ埋もれて死んでいきたい」なんてことをみんな感じていた様子。でも、ゴアテックスを着てるとだめだよ。遺体が出ると他のところは服もいっしょにくさっていくのに、ゴアのとこだけミイラ化しちゃうんだって。苔に埋もれたい場合はゴアの着用は不可です! 



【命がめぐる島で】



 今回の旅がモス・ガイド・クラブとともにあったことは、わたしたちにとって、とても幸せなことだった。森、海、川、空が水=命を通じて繋がりあっている命の島だよ!てことをとても上手に教えてもらった気がしている。モスの人たちは自然とちゃんと遊べる人たち。モスを通じてなかったら、わたしたちはまったくことなる屋久島にいたかもしれない。



 おいしい水、おいしいお酒、おいしい食べ物…「おいしい」っていうのはからだが喜ぶこと。地球からのおくりものである気持ちいい温泉に毎日つかり、森歩きの疲れを癒す。大さんの尊敬する漁師の「あんちゃん」は、生業のとびうお漁が終わった後で、疲れたからだを押して海に潜り、最高のイシダイや、伊勢海老、ぞうりエビでわたしたちをもてなしてくれ、わたしたちはわたしたちで満面の笑みを浮かべながら遠慮な く舌鼓を打つ。彼はお金じゃ動いてくれない。でもココロで動いてくれる。自然はただそこにあるものじゃなくて、それを本気で愛しているけれどそれが日常だよって人たちとともにある。だから、わたしは屋久島に惚れてしまったのかな。自称、やくちゅう(笑)



 わたしは高尾山にも惚れている。わたしの中で、いま高尾山と屋久島は繋がっている。きっと、もっと他の場所とも繋がっているのだろう。 6月11日、屋久島でアイランドアースディが開催される。虔十の会も、もちろん参加する。また、そこで何かが生まれる気がするんだ!こんなに書いたのに書ききれないことがまだまだ…でもそれはみんなが、屋久島を訪れ、直接見て、触って、感じてください。わたしたちは高尾山を失ったら、きっとどんなに素晴らしい自然があっても感じる能力を失ってしまうかも。寒空の高尾山にあるリュウノヒゲの宝石のような青い実に何も感じないならば、苔パラダイスにも屋久杉にも何も感じないと思う。



 五感を解放しまくって、自然と本気で遊べる人間でいたい。そうすれば、自然は受け入れてくれるってことを、命の島、屋久島はたっぷり感じさせてくれた。



                                            <サカタ>



 





 



 





 







 






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